技能実習制度を生かすために

特定技能制度の前に総括が必要である

 

一般社団法人国際介護人材育成事業団
2019年3月19日
理事長 金澤剛

Ⅰはじめに

 昨年末バタバタと生まれた特定技能制度、現在全国でその説明会が各県ごとに開催されている。
 法案の中身が何も知らされることなく、ただ新聞の見出し風に単純労働者を不足する14業種に限り9か国から招聘可能、ただその人権と待遇には気を付けろ、しかもそれは技能実習生とは違い入職を希望する海外の労働者と受け入れを希望する事業所の直接契約でよし、期間はとりあえず5年、業種によればあと5年、あるいは実質的に家族を伴っての永住も可能などとの前触れである。
 人手不足に明日の経営に苦悩している事業所は飛びつくのは自然であるし、当たり前のことである。
 始まった法務省による説明会はどこも満席であり、申し込みを断るほどである。
 それはさながら一昨年に開催された技能実習制度に介護を含ませる法改正の説明会のようである。
 当時の説明によると、今にも年間数千人ずつ介護技能実習生が来日し、不足する日本の介護現場は問題の解決になるであろうとの勢いであった、日々の人材不足に悩み藁にもつかみたい日々を送っていた介護現場がそれに飛びついたことは自然のことであった。
 しかし申請受付を開始して1年を過ぎても介護現場に着任した数は数百人である、その為か国はその要件の最大のネックとなっている日本語能力の基準の緩和をこの3月から決定している
 だがそれよりも重要なのは、この様な小手先の変更よりむしろ技能実習制度のシステム設計の誤りを認め、そのうえで特定技能制度を新しく設定すべきではないのか。
 それは、今までの日本の産業現場へ外国人労働者を受け入れる様々な政策は、一貫して建前として「日本の技能・技術の先進性を発展途上国に伝習することで国際貢献に資する」との理念にのっとり、決して安価な労働力の導入のためではないと、してきたことが起因している。
 だがしかし誰でもが認めるように実態は全く逆で、不足する産業現場の労働力の補充政策として位置づけられているのである。
 その結果様々な矛盾が至る所に露出して、それを取り繕うための政策の提出は、結果的に、ことごとく朝令暮改の最たるものとなり、それは、あたかもかつて農業政策に言われた「猫の目行政」の再来となったのである。

 その理由をあらためて述べれば。
 日本においては戦後の産業復興、そして繁栄は国内の社会構造変革で労働力は十分賄うことが可能であって、それは言葉を換えれば、国民の就労機会の充足とその変化が産業構造、並びに社会構造の変化が伴って充足に至ったのである。
 具体的には戦後高度経済成長期の終了とともに、それまで安い労働力調達を目的にした地方の解体とそれにも飽き足らずの地方への工場進出などと現出したのである。
 そしてまたその後の安い労働力を求めての海外進出、それもアジア諸国の発展途上国への進出に舵を切りつついあった1980年代ころの外国人労働者問題は、戦後賠償の延長風としてあった産業現場における「学ぶ活動」としての「研修」が制度として存在していた。
 1990年入国管理法の改正にて残留資格に「研修」が認められ、制度としての外国人労働者の受け入れの萌芽が始まった。
 その後1997年に実習期間が1年の研修から3年に延長された
 このころから建前の国際貢献としての技能実習より労働力調達の手段としてのそれとして役割の明確化がより鮮明となった
 すると安い労働力を得る手段として国内で働き手の不足気味な産業はこの制度を活用はじめ、結果的に、あいまいなままの外国人導入問題は現代の奴隷制度など国連から揶揄される現実を作るに至ったのであった。
 2010年それまで「教育訓練中」との身分の為労働基準法の適用はされずに様々な非難を多方面から浴び、それを改善の目的のため入管法を改正して労基法の適用を可能としたのであった。
 それは「研修」との美名のもと労基法で認められない様々な行為が横行したための、法改正であった
 このことは皮肉なことに建前としての技能・技術の研修をかなぐり捨て実態である労働を法的にも認めざるを得ない実態先行を認めた制度変更なのである。
 
 そもそも技能実習制度は当初からこの様なあいまいさの中で機能していたのであった。
 当初から建前としては、我が国の先進技術を伝習させるために日本の産業現場にて研修させ、それをもって送り出の発展を支える人材育成を図る国際貢献の制度であるとして、決して不足する日本の産業現場の労働力の穴埋めではないとしているのである。
 だがしかし現実は全く逆で、不足する働き手の穴埋めとしか機能せず、現実は働く側は「出稼ぎ」として、事業所側は不足する労働力の補充対策として、しか考えてこない歴史なのであった。
 今となっては誰もが国際貢献を目的とした制度であるなど思っていないのである。
 今回の入管法の改正論議の国会審議でも、ごく当たり前のように、まるでその労働状況が前提条件のように語られ、かたや最低賃金より低い待遇、あるいは失踪、あるいは労働基準法の脱法行為の指摘など労働問題のみの議論であったことからしても、この技能実習制度の法概念もまたその目的も、国を挙げて棚上げし、ただ労働力問題としてしか位置づけられていたことが逆に証明されるほどであった。
 それにもまし、またあきれたことに、今回の特定技能制度では、は特定技能1号の対象者にこの技能実習生の修了者がその資格者であり、担当省等の説明によれ例えば電気・電子情報関連産業、素形材産業などは,ほぼ100%がまた農業は90~100%それを想定している業種もあるほどなのである、
 その説明からして、この特定技能制度は技能実習制度を前提にして、あるいはその上に立ち技習生制度能実の延長として企画されていることが明確である。
 この結果からしても技能実習制度の建前の破綻が証明されたのであろう。
 しかも労働力不足の現実に背に腹は代えられぬためか、なし崩しに,である。
 この様に、特定技能制度は技能実習制度の延長線の制度なのである
 技能実習制度の理念あるいは建前はどこに行ったのであろう。
 
 我々のように、技能実習制度の意義を認めその法概念を忠実に踏襲しようとしていた受け入れ事業所にとってはまさに梯子を外された状態なのである。
 またその制度を現実に遂行するために日々業としている受け入れの管理団体などは、当然事業の再構築を強制されるであろう。
 それにもまし、送り出し国にとっては、あたかも朝礼暮改に等しい日本の入管政策に混乱し、その結果、日本の思惑とは別に、世界的に発生している労働力の国際的争奪戦に今でも負けている日本がますます列の最後に追いやられることであろう。
 
 今特定技能制度の前に技能実習制度の総括が必要である。
 
 それではこの建前と実態の完全なズレを埋め今必要な「働き手の充足と国際貢献」の方法を介護労働をたとえに考えてみよう。


Ⅱ 特定技能を制度化する前に国は技能実習制度を総括するべきである。

 課題としての技能実習制度は確かに実態としての海外からの労働力の調達の役割と、一方で技能実習制度の建前、あるいは理念のズレの問題である
 具体的には、理念として掲げる先進国としての進んだ技能・技術のOJT方式にての伝習、それを重ねることで得られる発展途上国の人材育成に寄与するとの目的はどうする、との課題が残る。
 理念あるいは建前の面から言えば、例えば平成28年5月に自由民主党からの提言で「アジア健康構想」の推進が企画された
 『「アジア健康構想」は日本で介護を学ぶアジアの人材を増やすとともに、日本の介護事業者のアジア展開や相手国自らが介護事業を興すことを支援することにより日本で学んだ人材が自国に戻った際の職場を創設しアジア全体での人材育成と産業振興の好循環の形成を目指す。』
 とした構想で、内閣の健康・医療戦略本部が進行責任役として稼働するとしたのである。
 確かに、技能実習制度は一方でこのような理念を稼働させるべきプロジェクトも形作ってはいるのだが。
 だがしかし実態としてはこのような動きと実態としての制度の運用はあたかも無関係に進んでいるのである。
 技能実習制度を利用して外国人を雇い入れている産業現場などは、例えばこの様な政策が実施されつつあることなど全くと言っていいほど知ることはない。
 そもそもその問題意識さえないのが現実である。
 今、特定技能制度が施行されるにあたって、この様な動きとの現状分析、そして今後の方針などとのする合わせなどが今こそ必要となっているのではないか。
 この様なことを含めて今、改めて技能実習制度の総括こそ、必要とされている。
 それなしに単純労働力不足が叫ばれたから、ご都合主義のもとの特定技能制度の創設では、様々なところに混乱をもたらすのは必須である。
 識者、あるいは野党の1部にはあまりにも実態を無視した絵空事の法律制度であるため技能実習制度そのものの廃止を唱える人たちもいるが、我々は実際はともあれ理念である国際貢献の実行のため残しいかに法に忠実に実行するかを基準にした制度に立て直すことを提言する。
 その為もう少し実態の深堀の必要もある。
 いや、それよりも技能実習制度の理念として流れている「国際貢献」に何とか寄与し、しかも不足する働き手を海外からの調達が可能な方法を考えていきたい。
 
Ⅲ 建前と現実のズレがもたらした問題
 
 さてこの技能実習制度の建前と現実運用のズレは、様々な社会的齟齬を生じさせている。
 例えば昨年の入管法の国会審議で話題になった失踪に関してもしかりである。
 たてまえ上技能実習である以上実習生は教育計画に従って受講、労働するのが義務であり、その教育実際に不備、あるいはミスマッチなどがあれば逃げ出すのが想定できるが、調査でも明確になったように失踪原因は賃金、あるいは労働条件の不満、それが起因しての失踪が過半であった。
 そのことはごく当たり前のことであり自然なことなのである。
 我々も含めより良い条件を求めて転職するのは世の常である、それは労働力の流動との一言で片づけられることであっても、技能実習生に限り制度上失踪とのレッテルを張られ、犯罪者となり強制帰国の対象なのである。
 働く側も雇う事業所側も労働力の提供、それに見合った賃金の支払いの関係であればしょせん失踪などという概念が生まれるはずがないのである,それが技能実習制度の建前があるから失踪となり事件になるのである。
 これこそ建前と現実のズレから生じたことなのである。
 またこのことは社会構造ももちろんのことであるが直接は、雇う側もなぜ労働力不足を生んだのかなどの根本的原因を探ることなくただより安い賃金で安易に調達でき、しかも期間中はほかに転職される心配がないのである。
 その結果、手段として本制度に飛びつき、労使の緊張感などの欠如などを生じ逆に産業としての近代化を阻害させているのである。
 それが起因してか、例えば残業代の未払やさまざまな労基法の脱法行為生んでいる。
 この様なことが国会で野党が課題にした事柄の原因の根幹であろう。
 このことを課題にすることなく技能実習制度の制度内改善を迫っても問題の解決には遠い話なのであろう。
 我々が総括の必要を口にするのは、このことを曖昧にしての特定技能の創設は形を変え同じ問題を生じさせることであろうと思うからである。

Ⅳ 介護技能実習生の実際
 
 さて技能実習制度の実際をもう少し見てみよう。

①技能実習生目的について

 まずは建前と現実運用のズレである、それは今後の総括の重要な視点になるはずであるからだ。
 その一つに、介護技能実習生の申請要件に前職要件がある。それは実習の建前からすると発展途上国の発展に寄与するとのことであるから、その関係者が日本に行きよりスキルなど磨く、その為の技能実習である、したがって要件の中に送り出し国にて介護ならばその仕事に従事しているか、看護職などの関係機関に何らかの格好で関係しているか、あるいは帰国してその関係に従事することが約束されているかなどなどがある。
 このことはこと介護に関しては、厳格に言えば全く不可能に近い項目である、なぜならば、日本でいう介護は発展途上国にあっては未だ概念さえ存在していないからである。
 したがって申請時には家庭内での介護の経験も前歴として認めるほどである、だが厳格に言えば、それが前歴とはならないのは、日本の介護は家庭内の家事としての介護から、他人が職業として実施する行為を介護として発展したのである、したがって家事としての介護とは同梱異種なのである。
 だからこそ今後介護が必要になるのであろう途上国にとっては技能実習生の意味があり、したがってこの様な申請は、中身より申請のための申請にならざるを得ず、建前より出稼ぎの本音が優先する証となるのだ。
 現実は例えば、我々はミヤンマーで実習生候補者に面接した経験では、候補者達の動機は日本で働き3年間で300万円の貯金をして帰って薬局をあるいは花屋を開くのが夢である。
 と語るのが全員であって、それが花屋であったり他の目的であったり、決して介護施設に働くなどだれも想像だにしていない。
 それよりむしろ職業としての「介護」が想像できないのである。
 
②日本語能力の問題

 そもそも介護には利用者との意思疎通が必須条件であり、それが前提で介護が成り立つ、その為日本語の能力が必要なのは言うまでもないが、しかしまた介護の特性として言語以外の意志疎通手段として身振り、目線、笑顔など非言語的手段で意思を伝える領域も大事である。
 例えば認知症の利用者などには言葉のほかの手法の体系化なども現在開発中である。
 しかしだからといって日本語能力がなしでもよしとするのではないが。
 例えば「全国介護付きホーム協会」が厚生労働省に出した意見書で「日本語スキルを一律の要件を課す必要がない、その人のコミニケションの力でサービスを担えるかどうかは受け入れる施設が裁量権をもって判断するのが望ましい」
 と意見書を提出しているが、
 このことは現状から判断すると、スタッフ不足の困窮度が先行し現場に混乱をきたしており、何が何でも一日も早く外国人の働き手が欲しいとの意思が先行しての現実が言わせているのが想像できるが。
 それはともかくとして、意志疎通手段として日本語能力だけではないとの指摘には同意する。
 しかし介護の技能実習のビザ発給の条件として日本語能力N4以上が条件である。
 今我々は、技能実習生第一陣が来月3月には来日し、しかも全員が日本語能力N3以上のものを迎えることができた、
 だがしかし漢字圏でないミャンマーからの実習生がその能力を獲得するには約1年以上の日本語漬けの合宿生活が必要となり、それにかかる精神的、経済的負担は過大なものとなっていた、このような能力を今後も要求するのであればハードルが高すぎ我々が目指す人材を補充するには困難をきたすことが実感である。
 今回技能実習制度も特定技能制度も要求する日本語能力をN4にしたことは現実的である。
 他の産業より対人関係を中心とするサービス業である介護は日本語能力のより高度さが要求されることは確かである、その為我々などはその第一期生を中心にして実習生に日本語を教育するノウハウを蓄積することも努力する必要があり、またそれも可能ある。
 その為その陣立てを獲得した事業所には何も第2期生からはN3にこだわる必要はない
 そのような仕組みを事業所独自に組み立てなければ介護技能実習生の獲得にはあまりにも金と時間がかかりすぎ、この制度の継続は介護現場にあって限界が生じる。
 
 一方見方を変えれば
 我々がミャンマーの若者に照準を合わせて実習生として招聘しようとしたのは、彼女たちの人,他人に対する配慮の深さを見たからであり、かつ思いやりの深さを見たからである、かつて我々日本人が美徳として持っていた他人に対する優しさを今だ持ち合わせていて、その心こそ介護の中軸であると思っているからである、彼女たちに逆に介護の原点の心を我々の介護現場に指摘してもらいことを期待してのことである。
 介護は何も言葉だけではない。
 また実質的に技能実習生の許可申請に対しその合格の基準の最大の課題は日本語能力であって、他の要件は申請の為のテクニックを駆使すればほぼ合格するのが現実である、そのため送り出し機関並びに管理団体などが日本語学校を運営しているか併設しているのが常である。
 それが起因しての齟齬が発生していることも事実である。

Ⅴ 技能実習制度が描いた世界が送り出し国から始まっている

 安い労働力の調達と外国人の出稼ぎ感覚で成立している技能実習制度は、一方で皮肉な現状を作り上げつつある。
 実習生側あるいは雇い入れ側は,今回の特定技能制度の成立を歓迎している、それは滞在期間が3年から5年に延長され、業種によればさらに5年また努力すれば永住も可能としたことなどにである。
 その事業所にあった働き手が技能などの向上をして、その職場になくてはならなくなったものは長く就労が可能になり、そうではない人は帰国との、労働者としての質の淘汰が可能となる制度で、制度上の一律ではなく労働者の個人的能力で滞在期間を選定できることを歓迎しているのである。
 そのことは、特定技能制度の目的が単純労働者の日本就労を目的とした制度であるため当然でもある、技能実習制度のような曖昧さをなくした制度であるためでもある。
 また働き手も単純に出稼ぎに徹し、技能実習制度のように原則的には事業所に縛られることなく、より良い条件を求めるごく当たり前の職場選択が可能となり、今までのように不可解な「失踪」とのレッテルを気にすることなく就労にはげむことができる。
 また雇い入れ側も帰国されることをあまり気にすることなくスキルアップのための教育に励むことが可能となるのである。
 また一方で送りだし国にあっては、それとは逆に例えば近代化の急速な進行で高齢者の介護が社会的に大問題となっている中国にあっては、その準備の遅れに対しその必要度がますます進行し、その遅れを取り戻す手段として日本の技能実習制度に注目を浴びせつつある。
 急速な少子高齢社会の到来の結果、必要な介護に対し準備が間に合わず、その苦肉の策の一つとして介護先進国である日本の介護技術など習得しそして介護の人材育成を目的のために日本の技能実習制度に着目し、日本に候補者を送りだし始めているのである。
 実習生たちは3年後の技能実習の終了し帰国した後、中国の介護現場の中心として機能させるためにと,この制度を利用し始めているのである。
 皮肉である。
 日本においてはただ単なる、お題目としてしか機能していない理念が、かの国では課題解消のために役立つと注目を始めたのである。
 これこそ、技能実習制度の役割を海外からの認知であり、この制度の企画者にとっては至極満足の極みであろう。
 技能実習制度は、我が国の実習生雇用者にとっては、不足する働き手がいかに長く働いてもらえるか、また働き手である実習生もいかに長く安定収入を得るか、可能であれば帰国など考えることなく長居することに知恵を絞る制度としてしか理解されていない制度。
 であるが一方で
 今後発展途上国には必要な技術・技能であることの認知が始まり、我が国であってはそれを実施することの結果としての国際貢献である。
 このことの送り出し国側からの認定が始まったのである。
 この理念にて描いた世界を真剣に必要としてきた送り出し国が生まれつつあるのである。
 この様な皮肉な現実が起こり始めている。
 文字どうり「アジア健康構想」にて描いた技能実習制度の有用性の認定が、一部ではあるが送り出し国から始まりつつあるのである。

Ⅵ 技能実習、研修費を公費あるいは介護報酬にて補助すべきである

 しかしこの動きは未だほんの始まりにしか過ぎない。
 圧倒的には労働力の調達であり、一方で出稼ぎなのである。
 たとえほんの一部の動向とは言え、そもそもの目的が稼働し始めたのである。
 今必要なのはその動きを加速する手段の問題であろう。
 現実は我が国の不足する働き手に悩む現場にあっては、せっかく手にした働き手に帰国されては困るのである。
 また中国のように近代化の進行が著しい送り出し国にとっては、先進技術を習得した技能者に一日でも早く帰ってきてほしいのである。
 理念と現実のギャップが生まれるのが当然の技能実習制度は,いよいよその矛盾が現実のものとしてきているのである。
 識者は今回特定技能制度の成立を機会に国際的にも悪評な技能実習制度を廃止すべきと唱えている。
 だがしかしようやくその理念で唱えていた事柄が現実となる萌芽が生まれつつあることを無視するわけにはいかない、
 一見矛盾するように見える事柄であるが手段を講じることによりその解消はできる。
 それは実習生が習得すべき技能・技術をはじめから定め、そしてその為に係る期間も定め、そのうえで実習先に実習依頼をするのである。
 その技能・技術こそ日本が今誇る「介護の先進性」であり、またますますそれを世界に先駆け進化させ、いくいくはグローバルスタンダードを目指すべき事柄でもある。
 その意味も含めて促進するために「介護報酬」にて項目として位置づけをしてその促進を図るべきなのかもしれない。
 言わば「外国人介護指導手当」とでもいう項目を設定し介護報酬の加算項目に位置付けることで、促進を図るべきであろう。
 いわゆる、公費か、あるいはこのような手段も友好的であろう。
 本来ならば、その依頼は研修費として送り出し国が実習先に支払うべき性格であるが。
 一方でOJTとは言え、日本の介護現場では労働力としてその研修生を必要としていることも事実であり、したがって当然ではあるがOJTの現場である就労先の事業所は労働に相当する賃金は支払う。
 この様に送り出し国から見れば必ず必要となる介護技術を習得した技術・技能者、また受け入れ側の日本では必要な労働力、この関係を保ちながらお互いに目的を果たすのは、介護先進国日本において、この様な仕組みを作ることが必要となっているのではないか。
 この様な手段を講じることにより一方で、せっかく育て上げた実習生が帰ってしまうとの実習先の不満は解消に向かうとなる。
 そしてまた先進国として自負する我が国の技術・技能を習得した実習生が帰国することにより、それを土台にして母国の発展に寄与することとなる。
 この様な政策の実施が重ねられて、初めて生きた国際貢献となることであろう。
 また、技能実習制度は建前に忠実な機能としてその役割を位置づけなおす。
 この様な政策を企画実施することを前提とするなら、今回の特定技能制度で解消の一手段としようとする労働力不足の問題、また技能実習制度が抱えた社会的齟齬の問題などを整理することが可能となるであろう。


以上