外国人介護人材の受け入れから定着に向けた課題の整理
~事業団2024年度方針確定議論のたたき台~

202449日  

 国際介護人材育成事業団 理事長 金澤 剛

Ⅰ 現下の課題

*   外国人介護人材受け入れ態勢の強化に向け整理

*   次は受け入れ事業所への定着が課題

「育成就労」制度の評価

*   「泰山鳴動して鼠一匹」

政府専門委員会の報告書は

      技能実習制度は廃止し特定技能制度へ、単純労働者の受け入れ制度に向け整理が結論
これは現況を認めその後追いとしての法整備

整備の理由は、「蟹工船や女工哀史」を生んだ制度であるとの見方に対し、労働基準法を遵守に向けての諸課題の整理

ただ問題なのは報告書の提出を受けた政府は、課題の転籍可能期間を1年から職種により1~2年に変更、かつ施行を2年後の2027年とし、更に3年間の移行期間を設け新制度への完全移行は2030年頃になるとしたようだ。

これでは国際労働力獲得競争に置いて行かれかねない、コップの中、あるいはガラパゴス諸島日本である。

 

      我々は、技能実習制度実施体制に付随していた中間搾取を排除して、当事者の利益のみを追求してきた、その結果、出来上がった現在の受け入れ態勢は。結果的に「育成就労」の成立に向けた課題をすべて先取りして来た。
その意味で我々にとって「ただ看板のすげ替え」に過ぎないと映るのであろう。
ただ、「蟹工船や女工哀史」の経営者たちは大変だろうが。

我々の課題は

      確保した人材をいかに戦力化して経営の安定と継続発展するかである。

そのため、いかに長く在留期間、就労期間を確保するかである

見る点はただ、8年の在留、あるいは永住権の確保、並びにかかる費用、

その視点で関係法あるいは制度利用するかである。

我々に課せられた課題は、その間に人材を戦力化する仕組みの構築である

 

Ⅱ 外国人介護人材の安定雇用のための課題

育成

   介護に夢を持たせる、あるいは夢のある介護を実践する

   そのため教えるべき日本の介護をあらためて整理する。

   日本の介護の教えと共に、それが一生の仕事となるよう環境の整備を図る

   実践的に介護教育としての日常業務遂行が介護福祉士資格取得につながる仕組みを完成。

   その結果として

永住や昇進等につながるプログラムを実施に向け完成。

 

Ⅲ 日本の介護をあらためて整理する

(1) 求められる介護の自立

「日本の介護」概念の確立は、いまだにそのための方法を模索しているのが現状のようです。外国人介護人材の受け入れも当初の受け入れ態勢の整備から第2段階に入りより長く受け入れ機関にて就労、あるいは介護のプロとして帰国できる人材として育成する具体的仕組みを作る段階に入った。そのため当面介護のプロとして自立するため資格取得などを可能とする日常業務の在り方。また地域に定着する事で介護をより理解できる仕組みなど作ろう。

以前、日本の介護福祉士の成立は、昭和から平成に変わるころ、当時の社会状況が生んだ政策上の産物であると記した。

出自は3潮流の合作で、それは

   戦前からの篤志家などにて担われ、また戦後の混乱期の現場の福祉を支えてきた民間福祉機関

   看護業界 

   リハビリ業界の流れ。

しかもそれぞれに介護を語り、またそれぞれに批判しあいながらも大枠では日本の介護として語られてきた。

また国の介護行政もこの3潮流をそれぞれに使い分けながら進んだ結果、いまだに介護界の独自性が生まることがないのが現状。

さて、なぜ4半世紀経過してもなお介護福祉士の独自領域が確定できないかの疑問につき、もう少し深めてみると、

第一に看護業界がそれを阻止している、あるいは認めることなく、あくまで看護の延長線であるとの主張がいまだ生きていることである。

簡単に言えば「看護助手」として見たがる癖がそうさせている、今回の報酬改定にもそのことが表れている。

先に今回初めて「介護福祉士」が報酬上規定されたと記した、それは「看護補助体制充実加算」のことである。

昨年8月24日社会保障審議会医療保険部会第166回の審議会にて診療報酬改定の基本方針について議論された。

その中で看護師の働き方改革の一環として看護師、看護補助者の協働の在り方が議論され、その一環として介護福祉士を認めることが提案された。

その提案に対し委員である日本看護協会の副委員長が反対を表明し、その理由として介護福祉士の働き場所は介護領域であって医療ではない、とのことであった。それに対しすぐさま日本慢性期医療協会副会長の委員が「何を時代錯誤の意見を述べているのだ、現実は医療にも介護領域でも介護福祉士は活躍している」と述べている。

この議論の末「看護補助体制充実加算」の要件の中に介護福祉士が認められた。

だがしかし要件として 、マニュアルの整備と連携指導のために該当看護師長等は所定の研修を修了。かつ当該病棟の看護師は一回以上の研修終了が必須であるとのことである。認識として看護から見れば介護は指導の対象の域をいまだ出ていないようだ。

この様にあくまで看護助手の域を脱することはないことで一件落着して、初めて介護福祉士を認めると至ったのである。

このことは4半世紀前の介護福祉士制度が出来た当時の看護界の主張と変化がない。

当時日本看護協会は介護福祉士制度創設に反対したが以下の条件で創設を認めた、それは、

㋑ 介護福祉士は看護婦の指示のもとに介護実施

㋺ 在宅老人を介護する場合は介護福祉士が看護婦の定期的な指導を受ける。

㋩ 養成施設の設置に対し

専任教員に対し看護職の確保、介護教育内容のガイドライン作成に看護職の参加、業務基準による連携方法と責任体制に対し看護職も参加養成期間を保母同様に2年とし3年である看護職とは区別。等である

日本看護協会の認識では介護領域は存在してなく、あるのはあくまで看護の延長線であり、介護は看護領域に内包されているのである。

従って介護職は看護職の指導下の存在である、との強固な認識である。

そのため現在でもなお現場ではギクシャクし、かつ介護の自立を阻害している要素となっている。

だがしかし、介護現場にあっては協会の主張とは違って、必要から両者の連携は年々スムーズになり、お互いに認め合っている姿がよく見られるようになってきている。

その結果

今回の改定では他に協力医療機関連携加算1の新設がある。

其の要件は、特養などの介護施設が協力医療機関との連携を強化するため定期的会議、また利用者、患者情報の共有の強化などである。

確かに医療が必要な状況に有効的であり、その必要性は急務であるが、現下の医療と介護のバランス、あるいは介護と看護のそれにあっては、医療モデルで介護領域が支配されるのが必須である。

それは先に記した日本看護協会にまつわってできている現実の介護現場と同様でもあり「地域包括システムが病院退院患者受け入れ地域システム」と揶揄されているのと同根である。

地域包括システムも、そもそも地域住民の生活にとって医療、介護が生活域にある事の利便性を保証するシステム、あるいは地域社会の在り方として企画、政策化し、実施されてきたはずである。

だが現実は、地域中核病院を中心として同一法人あるいはグループが経営する老健施設、特養、各種介護サービス機関、にて構成する「複合組織」による支配構造として生きていることが散見される。

このことは医療による生活領域の支配となっている。

これでは介護の自立は程遠くなることも理解できる。

また、それこそ多職種の連携が業務の基礎になっている「ケアマネージャ―」の悩みもそこにあるようだ。

(2) 介護領域の力をつける必要がある。

さて我々としてはこの現状を嘆いてばかりいても致し方ない。

それこそ問題は介護領域の力の無さなのだから。

医療サイドとしては、その必要から介護を医療の延長として位置づけ医療側の指示に従う存在として見るのも当然でもある。

がそこに必要なのは、生活領域の基準で見る介護領域の存在である、またそれ無しに連携を語ることは片手落ちである。

確かに、介護側から見ても医療との連携は必須であり、より有機的に深めなければ連携など美辞麗句に過ぎない。必要なのは介護領域の主張であって、その主張を作り納得させる論理と実績であろう。

それではなぜこのような事が続いているのであろう。日本で介護が、あるいは介護福祉士制度が生まれた時代は、老人福祉法、老人保健法成立、老人保健施設創設、介護保険制度成立、介護福祉士制度制定、老人デイケア―、回復期リハ病棟開設、等々高齢社会に処するための政策が多岐にわたり施行された20世紀末期から21世紀初頭の時期の転換期であった。

この時代は世界的にもWHOにおける障害、疾病、健康の概念の転換期でもあった。それはICIDH(国際障害分類)からICF(国際生活機能分類)への転換期であり、医療モデル単独から、生活、総合モデルへの転換期でもあった。

ICF確立以前のICIDH

   生活、人生の問題点を病気の結果としてしかとらえられない

   障害と言うマイナス面ばかりに着目している

   機能障害―能力障害―社会的不利益との一方通行のみとらえている

   障害に影響をもたらす背景が考慮されていないなどの指摘がされ、そのことからの変更であった。

このWHOの提案は日本のリハビリ世界にも多大な影響を与え、それまで医療施設内の治療行為の一環としてのそれから、生活、地域社会をフィールドとして医療行為、それが高じて地域リハビリの概念まで作り上げた。

其の流れが介護を規定する流れの一端でもある、それは日本の介護の柱である「自立支援」の考え方の確立への影響である。

このことも日本で介護領域を独立自立させる必要を生んだ時代背景のはずであった。

また看護領域にあっても「看護過程論」が導入、定着されてきた時代でもあった。

本来ならばこの「看護過程論」はICFの展開様式に含まれ、それを位置づけて理論展開をすれば、生活モデルにより近づいたそれを作ることが可能であったと思われるが残念ながら「生活モデル」を主張する介護領域の必要性を理解しても、どうしても医学モデルから発して来た看護の既得権を守ることが先行し介護領域の存在を認める「おおらかさに」欠けたのであろう、それが今でも続いているようだ。

だが、またもっと問題なのは、当事者である介護領域の専門家や現場の当事者たちがその存在意義を深めることが出来ない力不足の事であり、もっと問題なのはその問題意識をほぼ放棄している現状なのである。

確かに数年前まで医療行為がもたらした「寝たきり、おむつ、胃ろうの造設」等々生活領域の視点からの弊害に対し何とか改善できないかとの現実的な課題に対し試行錯誤でその改善に力を尽くした部分が存在した、その中心は介護領域であった。

三好春樹氏を中心とする陣営であった、介護保険導入後の医療モデルによる介護現場の進出からくる様々な矛盾を現場にて実感していた当事者たちが、何とか看護から自立した介護の独自領域を模索していた若い介護人たちはそれに流れ込み、あたかも新しい介護、を作り出す勢いであった。

だがしかし成功した結果も体系化し介護領域として確定する前に、例えば「おむつ外し」は泌尿器科領域に認知症は脳外科領域になど、それぞれの課題に対し医療モデルとして問題を捉え医療、看護としての解決策、あるいは治療が確立されていった。

 ここでも生活領域がスポイルされる結果となりそれは今に至っている。

それにも増し、現在に至ってもなお、国の介護、医療行政に位置づけられた関連する業種が、それぞれの担当として多職種連携の課題として位置づけられることにより解決策が提示され、介護領域独自のものではなくなり、結果的に介護の専門性を見つけ出す課題から雲散霧消してしまった。

「問題提議」の栄誉だけに止まってしまい、いまだ介護領域の独自性を発見するに至ってはいないのである。

(3) 介護行為の物差は「生活」

そこに介護の普遍性を考えるヒントがありそうだ

のべてきた三好春樹氏たちが中心となって考え介護現場で実行したことは、介護の役割の独自性を考えるヒントになっている。

それは「生活」の領域からおかしい点、疑問点を投げかけ、その原因を本質的に考えそれぞれに対し「生活」の領域から解決方式を提案実施し解決。

またそれを受けてそれぞれの発生源に対し解決策、あるいは発生原因に対する対策まで考えさせる結果を生んだことも確かな事である。

このことが介護の持つ今様な在り方なのかもしれない。

だが、やはり介護の物差は「生活」。

それに徹する頑固さをいかに維持し続けるか、今の課題でもあるようだ。

 

Ⅳ 介護教育を考える

何も介護教育制度、あるいは教育内容につき論じるのではない。

ただ介護福祉士資格が現実介護現場の介護とどうして離れてしまい、あるいは乖離しているのかを考える。

介護福祉士資格は名称独占資格である。

だがしかし介護はだれでも自然にできる行為で、資格者との区別は不明。

しかし必要から資格制度は存在し、その資格者も多数存在している

今必要なのはあえて名称独占資格は何が出来その存在を 他者から、社会から認められるのかであり、現状ではそこが定かではない。

また介護現場においても介護実践においても資格の有無の区別は不明である

だがしかし現実の介護現場にあっては「できる介護職」は概して資格者である。だがそれだけで資格の意義は不明である。

何故この様なわけの分からない現状を生んだのであろう。

その第一は介護現場の日常業務と資格の有無が無関係である現状であるからである。

資格取得には介護の根拠とそれに付随する最低限の知識を求めている、また技術もそうである。

しかし問題なのは日常業務にあってそれを知らなくても実施可能な事なのであるが、それを他者に、あるいは仕事とした場合、本来最低限必要とするには資格者が持っている知識と技能を持つことのはずである。

それが放置されているため、いつまでも介護の質が上がることなく、ただ諸般の事情にて家族が介護が出来なくなった人たちの代行することで感謝、認められているに過ぎないのが現状である。

これでは介護職が家事代行業との認識から抜け出すことはできず、3K業種とのレッテルを剥がすことが出来ない。また労働力を永遠に探さなければならない職種から抜け出せないのである。

そもそも、介護現場の業務と、介護福祉士資格が直接結びついていないことがどう考えても理解できない。
ごく当たり前の様に業務外に実務者研修機関などがあたかも運転教習所の様に存在していることが理解できないのである。

確かに制度が出来たころは養成校の卒業者が資格者の大半を占めていた、それが3K業種として介護が認知されるにしたがって、激減して,要員を確保するために現職の中から候補者を募りその中から資格者を大量に作り出す必要が今の制度としたのであるが、その結果資格が現作業者のお墨付きにしか過ぎない結果を生んだのであろう。

今必要なのは、資格者が持つ技能と知識が現実の日々の業務に直接反映影響することであるし、そうさせなければならない。

そのため日常業務の延長が資格取得にならなければならない、また資格取得と日常業務を直接結ばなければならない。

その結果介護現場における質の向上が出来るか、あるいはどの程度か、また利用者にどのような結果を生むか、あるいは介護職の社会的認識度がアップするか等不明である。

それは実施した結果からの分析を待つ。

問題なのは現在の様に日常業務と、資格取得の縁が切れていることが異常なのである。

 

Ⅴ 外国人介護人材が介護福祉資格を取る必要性

国は2042年まで増え続ける要介護ニーズに対しあてがう人材の提供育成を諦めたようだ。

その象徴が2024年の介護報酬制度改定に見て取れる。

介護人材に変わるあらたなテクノロジーの導入の誘導。

生産性向上の名のもとの新たな働き方の推進に対する積極的な評価が特徴的である。

それは目指すところはより少ない人数でよりパフォーマンスを上げるとの視点で、それに向けての施策を重点的に進めて行くとの宣言のような介護報酬改定に見えて来る。

さて、方向性は見えて来るがその実施に対してはどうも迫力に欠ける。

それは介護の質の担保策としては、やはり最低は介護福祉士資格者の増加が取り敢えずの重要策であるはずである。

しかし国家試験の受験者数は2014153,808人、202361,747人、合格も93,760人から61,747人と年々減り続けている。これは介護従事者の減少そのものと全く比例しているのでもあるが。

国は人材供給、並びに資格者増加を外国人介護人材に頼るしか道がないとの認識に至らざるを得ないのが現実のようだ。

そこで昨年来「外国人介護人材の業務の在り方に関する検討会」を厚労省主導で開催し、今年3月の検討会で

   訪問系サービスに外国人介護人材の従事を開放する

   介護福祉士試験に外国人が合格しやすくなるため、試験問題を2~3のブロックに分け一定の水準に到達しなかったパートは翌年に再トライ可能な仕組みにする、

などの検討を開始した。

この様に国は何とか人員の確保と、質の確保を外国人介護人材にはっきりと求め始めたようだ。

だがしかし、先に記したように国際的労働力確保競争に負けそうだし、資格取得の方法が日々の業務と分離されているようでは、国が「笛を吹けど踊らず」の状態が続くであろう。

ここにも課題が見えて来る。

この状態の中で我々が目指すべき方向は明確である。

 

Ⅵ 終わりに

さて以上 介護にまつわる課題を整理してみた。この結果いまだに「介護」の概念の固定にはたどり着かない。

ただ介護職は時代が求め、それに呼応するために時の「政策」として生まれた、そのため社会状況が生んだ職種と言える。

そのため介護と介護職がそれぞれに分離して存在していることも理解できる。

ただそろそろそれを合流させ、介護を実施するプロを介護職とよべる社会を作りたいものだ。

外国人介護人材採用、定着、そして母国への還流、循環の仕組を作り上げることを目的とした我々「一般社団法人国際介護人材育成事業団」は採用の仕組みのより深化、また定着に向けた作業の遂行が問われている今、まさに出稼ぎ先として偶然選んで縁を結んだ採用外国人材に、日常業務の遂行、そして理解、は資格取得につながるとの道筋を示し未来に夢を抱かせる必要がある。またその実績つくりも求められているようだ。